世間の目に疲れたママへ。元助産師の私が4人育児でたどり着いた「頑張らない」親子の絆

食事中に立ち歩く。
座っていなければいけない場面で動いてしまう。
静かにすべき時に騒いでしまう。

「なんで、この子は話を聞いてくれないんだろう?」


1人目の育児をしていた頃の私は、いつも心の中でそう叫んでいました。

私が「こうしてほしい」と願う通りに動いてくれない我が子。
その背中を見るたびに、私は自分の育児が否定されているような気持ちになっていたんです。

「あの子、また座ってないね。親が甘やかしてるんじゃない?」

そんな周囲の視線が突き刺さるようで、私はいつも必死でした。

「その子、何か問題があるんじゃない?」

と心ない言葉をかけられたこともあります。

でも、あの頃の私が本当に守りたかったのは「子供の幸せ」ではなく、「ダメな親だと思われたくない」という自分自身のプライドでした。

その後、出産した次女に違和感を抱き始めてから、私は毎日が恐怖でした。

「全ての行動がおかしいんじゃないか?」
「もし、障害があったらどうしよう」
「普通から外れること」
が、ただただ怖かった。

でも今思えば、私が怖がっていたのは障害そのものではありませんでした。

「普通」

という枠から外れることで、周りからどう思われるのか。それが何よりも怖かったのです。

そんな時、長男がふと言った言葉

「障害があっても、次女に変わりはないよね?次女は次女だよ!」

その言葉を聞いたとき、初めて気づいたんです。
「ああ、私が怖かったのはなにか障害がある次女のことじゃなくて、障害のある子の親である自分自身を受け入れられなかっただけなんだ」と。

「あの子には、私のように普通を押し付けられて育てられ、苦しんでほしくない」

そう心から願っていたはずなのに、気がつけば私は、自分を縛り付けていた価値観をそのまま、我が子に押し付けていました。

自分みたいになってほしくないと願いながら、いつの間にか
「自分みたいな子」
を型にはめようとしていたのです。

矛盾していると気づいた時は愕然としましたが、そこが私のスタートラインでした。

それからは、少しずつ世界が変わりました。

「なんでこんな行動をするの?」

と叱るのではなく、

「なんで今、この子は泣いているんだろう?」

「何に困っているんだろう?」

と、その子の目線に立って考えるようにしました。

今はもう、

「普通になること」

なんて目指していません。

ただ、この子がこれから先、
自分の足で歩いていく時に少しでも困らないように、
どうサポートしてあげられるか。

それだけを考えています。
子どものおかげで気づけた

「ありのままを見る」

ということ。
あの時、必死に守ろうとしていた

「普通」

という枠を捨てて本当に良かったと、
今では心からそう思っています。

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